くそ雑記

継続で未来に立ち向かえ

厭世の壁打ちマスターベーション


久しぶりに同じ過ちを犯していらいらしているので、鎮静の楽曲探し。youtubeで聞きながら一緒に歌う。

ラインナップ↓

現在3曲目の「さあ」を一緒に歌っている。このあとも増えること必至だが、逐次記するのはやめておく。今夜中ブログを更新し続けなきゃならなくなる。

さて、いらいらさせてくれた事柄について、怒りがぶり返さないように書きたい。何度も同じ目に合っているのに、忘れては期待して、ぶつかり、また怒るのだ。

家族という身近の存在、に対する好奇心の欠如を嘆く。何回やったら学ぶのだ? 私はいつ悟るんだ? まだ期待するつもりか? 家族と社会問題の端緒を握り合い、共に答えを探求しようとする会話の弾む日を待っているのか?

本を読まない日本人は5割いるらしいと、新書(「若者の読書離れ」というウソ)で読んだので、たまたま読まない側の人間が多めに出現したのが、うちの家族だということで一旦納得したことにした。気に食わないが。私には学習意欲を増長させてやれないらしいと感づいている。悲しいが、家族とは夏目漱石の話も、ベーシックインカムの話もできない。

誰とも共有できないのか、この思想を。雪玉みたいに大きくなっていく一方の、溶けない思考の塊を。抱えて一人で歩くのか。社会に対する疑いを、ベーシックインカムのない暗闇を、労働のくそ性を、私だけが異常なのかと猜疑しながら生きていけって言うのか。それができたら一人前なのよ。立派なのよ。滅多にいない大人と言ってもいい。この先に光があるから今が闇と感じるのか? 過去の光で今を生きているから前方には影が横たわっているのか? お気楽なことが言えるのか。なにも考えていないのか。それで逃げ切るつもりなのか。私以上に無責任。知っていて行動しない悪以上だろう、知る行為を起こさないで知らなかったととぼけるのが許されるのかよ。

ずっと家族に向けて言ってんだ。

面と向かって言えねえチキン野郎のあくどい仕打ちだね。

本音を言えば、私を養い続けてほしい。働きたくないので、ニートになっても風当たりを変えないでいてくれて、たらふく食わせてくれて、冷房暖房完備で、無産市民の顔をしていることを許して寛い心で養ってほしい。もしくは未来への生きがいを生み出して私に与えてくれないか。おこがましい? ははは、メガラのテオグニスが私の根幹にあるのだ。確殺の未来がいいかな、責任を持ってあなたが私の最期を見ろ。

 

追記

ひとつ閃いた。私は私に同調してくれるおにんぎょが欲しくて話し相手を求めていたね。反論は受けて立つけど、似て非なる主義とは協働できねえ可能性高い。私は壁が欲しかった。やっと言語化出来たので、肝に銘じて壁打ちに励みます。長々と愚痴を垂れ流しまして、お目汚し失礼いたしました。

ここまでお付き合いいただきまして、誠にありがたく存します。いい夢を。